スーパーモーニング で、ダウン症の次男との闘病生活を語りました。
「こういう子供を持っていることを一生隠したかった。 産まなければよかった。本当に思っていました」。
次男が生まれた時、本当にそう思ったそうです。
明るいイメージを持つ自分は、一生このことを隠して生きて行こうと・・・。
でも、その松野さんの気持ちを変えたのは、次男の笑顔だったと言います。
松野さんの苦悩告白とは・・。
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(以下引用)
次男が生まれたのは、2003年12月26日。その時の模様を松野は、リポーターの原元美紀に次のように語った。
「先生がお尻を叩いて産声を上げさせようとしたんですよ〜。その時、ウンギャと、か細い声が聞こえた思い出があるんですよ。でも、唇が真っ青で……」
実は、妊娠8か月目に医師から「通常3本あるへその緒が2本しか見当たらない。疾患がある可能性が高いです」と言われていた。
「やはり重い心臓病でした。呼吸が速くなる心内膜床欠損症と全身に酸素が行き渡らないファロー四徴症と言われた」という。
さらに誕生して10日後、追い打ちをかけるように医師から「ダウン症です」と。心臓の異常は、ダウン症による合併症だった。
次男は1年半後に退院。家で夫婦、長男ら家族との生活が始まったが、2歳を過ぎると酸素ボンベなしではいられない生活が……。
「帽子を深くかぶって、人から話しかけられないようにしようって……。」
「松野さんどうしたの?」
「辛いでしょ」と言われるのがとても嫌だった」
「勝負の世界で生きてきた人間ですから、人生に負けてしまったような感じがして……。こういう子供を持っていることを一生隠していこうと思いましたね。産まなきゃよかったと……」
そんな中で2歳3か月が過ぎた06年4月、心臓手術が行われ、無事に成功する。
それでも松野の複雑な気持ちは変わらなかったようだ。
「自分は明るい性格、暗い顔をしてはいけない。テレビのイメージを壊したくない。隠して仕事を続けていきたい。あのころは、子供が一番でなくて、自分が一番でしたね……」
しかし、次男が1年前に自立支援施設に通い始めてから、発育の遅れはあるものの、着実に成長。ニコニコしてくれる子供に出会った松野も変わった。
「隠す必要ないんじゃないかと。1番じゃなくてもいい、途中で立ち止まってもいい、道草してもいい、ゴールを目指す姿は1番と同じくらい素晴らしいことだ、と教えられた。今は産んでよかったと思う」
(引用元:テレビウォッチ)
以前に、松野さんの家族を紹介したTV番組を見たことがあります。
笑顔がいっぱいで幸せそうでしたね〜。
でも、この笑顔に辿り着くまで、たくさんの悩みや苦しみがあったのだと思いました。
家族って素晴らしいですね!
次男の笑顔が忘れられないですね。
多分、この子が松野家の太陽なんだろうなぁと思いました。
子供は親を選んで生まれてくると言います。
雲の上から「どこに生まれようかな・・。あのお父さんとお母さんにしよう!」と決めて、生まれてくるのだそうです。
神様からのメッセージを持って・・。
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